『不登校・ひきこもりが終わるとき』を読んで

大事だと思ったページに付箋を貼りながら読んでいたら付箋だらけになってしまい、結局どこが大事なのかわからなくなるやつ。盛りだくさんの内容で、まだ頭の中で整理しきれていないのだけど。

本書のタイトルが「終わるとき」であることや、個人的に最近読んだ本がいずれも支援団体の話だったこともあり、引きこもりの支援にからめて見ると、この著者はそういった、家から連れ出して入寮させる系の支援団体を全否定はしていない。でも、自分は本人の意思を尊重したいと一貫して訴える。引きこもりが「終わる」のは、本人が暗いトンネルの出口まで自分の足で歩き通したときで、周囲はそのためのサポートに徹すればいいと。

経験者でもあり、支援者でもあるからこそわかること。我が家の引きこもりは、はたから見ると歩みを止めているようにも見えるのだけど、いっちょ信じてみるか、と勇気をもらいました。

 

『発達障害の人が見ている世界』を読んで

今読んでいる別の本がなかなか進まないので気分転換に少し寄り道。この本は引きこもり本ではないのだけれど、「発達障害」は個人的には「引きこもり」と同じ線上にあるトピックで。引きこもりが始まると、周りは発達障害精神疾患を疑い、色々調べがち。

この本を読むと、やっぱり発達障害と引きこもりは関係が深そうだなと改めて感じる。特に ASD の「変化を好まない」、「嫌な記憶を忘れにくい」、「優先順位がつけられない」といった特性は、引きこもりの長期化にもろに影響しそう。

この本はもちろん「引きこもり」にはまったく触れていない。学校や職場での困りごとへの対応が書かれているだけだ。私の立場からひねくれた見方をすると、学校や職場に行けるだけでうらやましい。

 

 

『コンビニは通える引きこもりたち』を読んで

そうそう、「信じて待ちましょう」とか、「見守りましょう」とか、相談先でよく言われるんだよね。そして「もうちょっと様子を見よう」「もうちょっと...」と思ってしまう親の気持ちもよくわかる。

この本の著者は引きこもり支援団体のスタッフ。「待つ」「見守る」がうまくいかなくて長期化した例をたくさん見てきたのだろう、この「待つ」「見守る」に懐疑的。やってみればいいけど、期限を設けて、それまでにうまくいかなかったら別の方法に切り替えたほうがいい。期限は 2 年くらいが妥当と。

ほかにも、家の居心地をよくすること、親の会に参加すること、親子の会話を重視することなど、今まで割と主流と思われてきた対応にもダメ出しをしていて、一見そういう努力をしている家庭を批判しているように受け止められる。でも、ちょっと視点を変えると、「お母さん、もう頑張らなくていいですよ。私たちに任せてください」と優しく救いの手を差し伸べてくれているようにも見えてくる。ま、金銭的な問題があるから、誰もが支援を依頼できるわけではないけれど。

 

 

『「大人の引きこもり」見えない息子と暮らした母親たち』を読んで

途中、何度もアレ?と書名や目次、著者略歴を見直したのだった。だって「母親たち」の物語だと思っていたら、引きこもりの訪問支援団体の成功事例集みたいだったから。息子の引きこもりで苦労したけど、○○という支援団体に出会ったおかげで息子は就労して独り立ちし、親も幸せ!みたいなパターンにのっとって描かれる 8 つのストーリー。もう 3 つ目ぐらいになると、そろそろ支援者の登場かな、と展開を予想できてしまうような。中にはかなりつらい体験を語っている人もいるのに、どこか冷めた気持ちで読むことになったのは残念。

訪問支援団体についてはよく知らなかったので、こういうやり方をするんだ、とわかった点では勉強になった。登場する支援団体は 3 つ。いわゆる「引き出し屋」とは違いますよ、とあえて書いている。でも 1 つは裁判沙汰になってますよね。残り 2 つは数か月~ 1 年かけて説得して、連れ出すのに本人の意思を尊重しているよう。本人も後々「連れ出してくれてよかった」と言っていたりする。場合によっては選択肢の一つということでしょうか。