『引きこもるという情熱』を読んで

人が引きこもるのは、いまの環境のままでは一個の人間になることができないから。一個の人間になろうとして、その環境を逃れ、引きこもる。実は本人を一番責めているのは本人(「社会的自己」)だが、「自己領域」に十分にこもることができたときに「自分は自分でいい」という自己肯定感にたどり着く。このときポイントとなるのは「十分に」こもること。中途半端なこもり方では、引きこもりはかえって長引くという。

 

長引いた例として挙げられていたのが、学生時代から断続的に引きこもっているというY子さんのケース。この方は大学も出ているし、就職も結婚もしたことがあるけど、結局うまくいかず今は実家に引きこもっている。はたから見ると、たとえば引きこもりが10年に及ぶ人と比べると、引きこもりの程度は軽いと思われるのだけど、著者によれば、十分に引きこもることができなかったから、長引いてしまっているのだそうだ。10年間引きこもり続けたとしても、完全なかたちでこもって滞在期を終えることができれば、そのほうが「正しい」引きこもり方だと。

 

20年も前の本なのに今もそのまま通用する。それだけ引きこもりをめぐる状況は変わっていないのがよくわかる。